人生を変えたもつ鍋店の創業
――ぶんぶくさんのもつ鍋は何度食べてもおいしいですよね。なぜもつ鍋を始めたんですか?
自分の幼馴染みが料理人で、前橋のとんかつ屋で働いていたんですが、その後九州のお肉問屋の会社に勤めだしたんです。で、博多にいたんですけど、彼が群馬へ帰ってくるっていうので、うちに来てくれて、そこでレシピを卸してくれたんですね。
――博多というと、もつ鍋の本場ですよね。
はい。ちゃんとした本場の作り方で、本場の味で。彼は今はもう独立しているんですけど、そのレシピがなかったら今やっている飲食店も途中でどうなってたかな、とは思います。だから感謝してますね。
――飲食業を始められたのが、38歳のとき?
そうですね、今からちょうど10年前ぐらいですかね。その時は2回目の結婚をしたときで、「今度はちゃんとしないとな」って思っていました(笑)。子供も初めてだったんで、その時にたばこもやめました。ずっと夜の商売で、わーっとやってきたんで、そのタイミングでスイッチを入れたのがきっかけになるかなあなんて思いました。
――父親になってから意識がかなり変わったんですね。
それまではもう、夕方起きて朝寝るみたいな生活で、毎日酒飲んで。ああじゃねえ、こうじゃねえってやってただけでした。38歳くらいで人生や商売を振り返った時に、何にも残ってなかった感じがしたんですよね。一緒にやってた人なんかも、同じ目標を追えなくなったりだとか。ただ自分の思いつきとか感覚でやってたんで、売上もだんだん詰まってくるし…。その時は大変だったなと。後は風営法。今はキャバクラって風営法とかが必要なんですけど、昔は取ってないお店もあって、自分も取らずにやっちゃったんですよ、結構大きな箱で。そしたらお客さんが結構入って、お巡りさんが来たってやつで。お店も閉めなくちゃいけなかったりだとか…うん。結構大変だったなあと思います。
自分を動かし、支えてくれる仲間の存在
――夜のお仕事から飲食業界に入ったのは、どういう経緯だったんですか?
最初はスタッフが、キャバクラとかホストじゃなくて飲食業をやりたいって言ったとこからのスタートなんですよね。だから俺のきっかけは誰かがきっかけってのが多いかもしれないですね。自分が「これやりたい!」っていうよりは、誰かがそれをやりたいから、「じゃ、そこをサポートするよ」っていうのが得意というか、自分はそっち向きなのかもしれないです。
――浅野さんの事業は何人ぐらいでスタートされたんですか?
人数ははじめ二人ですね。それが大きくなって…そうだな、夜の時で大きいときはもう100人以上いたと思います。キャバクラ2店舗、バー2店舗、スナック1店舗、でホストクラブってあって。今は、スタッフはアルバイト含めて、60人位だったかな?
――かなりの規模ですね。これは偏見かもしれないですけど、夜のお仕事されている人って目的がかなりはっきりしていて、野心も大きいイメージがありますね。
そうですね。そういうのでやっぱり一回は疲れたんですけど(笑)。経営の勉強だとかを初めたのをきっかけに関わる人たちも変わってきたので、飲食店をやっている方とか。その影響で今はスタッフの教育をしたり、自分も一緒に成長するのが楽しいなと思いますね。
――10年間飲食業を続けられてきて、初めのうちは今とはまた違った思いだったんでしょうか?
最初は自分の仲間を集めたんです。みんな優秀な人なんですけど、なかなかチームワークはうまくいかなかったですね。自分のリーダーシップも弱かったですし。お客さんが入らず閉めたっていう店舗も2つあって、本当に飲食店はお金のキャッシュフローが大変で、ただお金を出してお店オープンしても続けていかないとだめだと感じました。自分の地元で、同じもつ鍋屋をやってたんですけど、平日は全然お客さんが来なくてもう大変でした。
――そんな中で10年も続けられているのはすごいですよね。
でも、やはり継続するのは苦手だなと思いますね。こう、爆発みたいなのでドン!っていうのは得意なんですけど。
――その辺はスタッフさんがフォローしていくという感じでしょうか?
すごくフォローしてくれていると思います、本当に。今のメンツが一番いいかなと思います。会社としては13期で、スタッフも20人ぐらいいるんですけど、会社自体も今までで一番良くなってきているなとは思いますね。
大好きだった野球、追いかけた新しい夢
――ご趣味は野球と伺っているんですが、小さい頃からお好きだったんですか?
そうですね。中学のときなんかは野球が凄い好きで、ずっと部活ばっかりでしたね。でも中学3年の時にレギュラーを落とされたのがすごく記憶に残っています。その時の先生が野球を知らない先生だったんです。だから野球の実力としては自分の方が絶対にあるんですけど、多分、態度を重視されたので、今考えれば当たり前なんですけど、その時は悔しかったですね。「野球がうまきゃいいんだろ」みたいな感じで、クソガキだったんで(苦笑)。
――高校のときも野球はされていたんですか?
全寮制で野球が強い佐野日大で野球やろうと思ったんですけど、体がまだこんな大きくなかったんですよ。高校生活の途中で伸びたんですよね。だから、ちょっとここじゃあ、こんな気持ちじゃあ…っていうんで入らず、寮にも入らずで、もう遊びしかしてなかったんですよね。
――その勢いで夜の業界に飛び込んだんですか?
まず高校を卒業した後は、東京にあるホテルの専門学校へ行ったんですよ。ですけど、やっぱりそういう興味が出てきて、六本木で働いてたんです。卒業後もホテルニューオータニに勤めながら、バイトもしてたんですよ。その時に1回目の結婚を、東京で知り合った女の子と群馬に帰ってきてしたんです。で、定時に帰ってきて休みが多いところがいいって言うので、農協に入ったんですよ。そんなホストだの何だの夜やってた人が農協行っても、やっぱつまんなくて(笑)。
――それはそうですよね
そうなんですよ。お金もあまりよくなかったから、そこでまた夜のバイトをし始めちゃって。そしたら嫁さんともうまくいかなくなって、3年ぐらいで別れちゃったんですよね。別れた後は速攻農協も辞めて、それで個人でやり出したんです。
――それから夜のお仕事を本格的にされるようになったんですね。
ええ、今もそうなんですけど、当時は本当に夜王になろうと思ってたんで(笑)。だから無我夢中でその目標を追いかけてました。店舗を展開して、とにかく大きいお店を作ってみたいって。そういう自分が好きでした。その後は、コロナの時に改めて年商だとかの自分の目標設定みたいなのをして、それから走り出しての今なんですけどね。
――浅野さん自身は仕事のどんなところが好きなんですか?
ホテルマンをやってた頃からなんですけど、やっぱり接客は好きですね。
――接客の楽しさってどんなところにありますか?
喜んでもらえることをするのがやっぱりいいなと思いますね。お客さん、人が喜んでくれるのは好きなので。サービス業って喜んでもらうことばっかりなので、そういうところはいい仕事ですね。
すべては「まごころ」から始まる。浅野社長の店舗展開
――石垣島にも店舗があるんですか?
はい、石垣島に肉バルとオイスターバーがあります。まだ、コロナが明けてから1回しか行けてないんですけど(笑)。
――じゃあ、向こうにはそのお店のオーナーさんがいる感じですか?
そうですね。もともと一緒に働いていたスタッフが海の近くで仕事したいって言って、石垣の話があるんだけどって言ったら「やる!」って言ったんで、出店したんです。
――ほかにも焼肉店もやられてますよね。どうして始めたんですか?
やっぱり自分が焼き肉好きだし、もともと焼肉屋をやってみたいなと思っていて。
――焼肉実際にやられてみてどうですか?
いやー、焼肉って、高いお肉を出して、お客さんが焼いてくれるから簡単だなと思ってたんですよ、やる前は。やってみたら仕込みがまあ大変だし、厨房も一人でもつ鍋屋よりも大変でした。あとは、自分ちの色を出すのが難しいなと思いました。どこへ行っても焼肉って、この値段だったらこのぐらいでできてっていうのが決まってるんで、だから難しい。
――いろいろなお店を運営していく中で、浅野さんが大切にされていることってありますか?
一応「まごころイズム」っていう行動指針があるんですけど、1つ目は感謝すること、2つ目は挨拶すること、3番目が素直、4番目が挑戦すること、5番目が自分の大切な人を大切にする、というものをみんなで唱和して。スタッフ60人全員が暗記して言えてるんです。そこを大切にしていこう、みたいなのはありますけど、やっぱり素直であることが大事だと思いますね。
――社名の「まごころ」って、どういう想いから来ているんでしょう?
実はこれは、まだちゃらんぽらんしてる時に、墓石を売り出したんですよ。元々いたスタッフが墓石の営業をやってて、そこにまごころがあればってことで社名を決めました。
――なるほど!その事業があってこそのだったんですね。
そうそう(笑)。もう今は墓石の販売ができなくなってしまったんですけど。それこそね、まごころって言葉には嘘をつかないみたいな意味があると思うので、そこにくっついてくるとは思ってます。
誰かに喜んでもらうために。まだまだ続く挑戦
――今いる仲間のサポートは、浅野さんにとってかなり心強いものではないですか。
夜のときは完全にトップダウンだったんですけど、本当に今いるスタッフがすごく優秀で、一人じゃ今掲げている目標も絶対いかないなと思います。今のこの会社の売り上げを作ってるのは自分よりもスタッフの方が強いなと感じますし、ほんと頼りになる仲間ができました。同じ目標に向かって走ってるって実感があります。
――もし今、浅野さんが掲げる目標が達成できたらどんな気持ちでしょう?
今まで自分がこういう目標をしっかり決めたことがなかったので、目標が達成できたら、自分が決めたところに行けたなって、自分のことを承認できるなとは思いますよね。あとは同じ目標をもつみんなと喜べるのは最高だなと思いますね。
――今後の展望を伺いたいです。今は馬肉の取り扱いも始められたんですよね。
そうですね。うちは刺し身の取り扱いがなかったんですけど、やっぱりお酒飲む人は刺身というかなま物がほしいと思うので、馬肉はすごくご好評いただいてます。いろんな馬肉の業者さんに連絡して、試食させてもらって美味しいものをっていうところで、今のモンゴルの馬肉と出会いました。
――どれぐらい試食されたんですか?
結構しましたね。15とか20くらいはしたかもしれないです。
――そのモンゴルの馬肉というのは何かピンと来たところがあったのですか?
やっぱり味ですね。全く臭みがないし、国産の馬肉に比べても全然ひけをとらない味だったので、これなら、というところで、スタッフみんなで味見して決めました。あとは、部位もかなり種類があったので、いろいろなお客さんにもバリエーションを楽しんでもらえるなとは感じました。
それに、馬肉自体、自分もそうだったんですけどまだそこまで馴染みのあるものじゃないじゃないですか。そこをもっと身近にしていきたいなっていうのもあります。こうして食を通じて、一人でも多くの人を笑顔にしていきたいですね。